朝日新聞「天声人語」に、このような記述があった。
〈しばらく前の小紙ひととき欄に、あるお母さんが「きらいな鉄棒ができた」と寄せていた。
公園で何カ月も練習をして、幼い娘さんはやっと前回りができたそうだ。
初めて受けた「宇宙の祝福」は、小さい胸にどう刻まれただろう。〉
6歳の娘さんが初めて鉄棒ができた時の、そのお母さんの投書である。
▼運動音痴というのは、どこにでもいるものである。
運動を強制される苦痛。
周囲についていけない苦痛。
蔑まれる苦痛。
様々な苦痛に耐え、運動するのである。
そんな運動音痴も、否、寧ろ運動音痴だからだろうか、
できなかったことが「できた」ときの感慨は一入である。
何故だろう。
普段どれだけ運動を避け、嫌い、憎んで生きていても、
その時だけは胸がいっぱいになるのである。
▼2007年5月18日。
17歳10ヶ月の高校3年生は無邪気にはしゃいでいた。
鵺が初めて逆上がりができた時のことである。